高取城跡(2021.12.4撮影) [奈良]
写真仲間と奈良の高取城跡(※)を訪れました。
近鉄壺阪山駅で降り、バスで壺阪寺まで行き、後は山道の登りです。途中で五百羅漢さんの石仏を観ながら300m弱を登ると、標高584mの高取城跡です。
7年前の11月に訪れた時は紅葉が盛んなときでしたが、今回の “石垣だけの古城、残り少なくなった色あせた紅葉、足元一面の落葉” の組合せが何とも良かったです。
帰りも同じ工程を予定していましたが、バス時刻表のチェックミスで山頂から壺阪山駅までの約450mの下山になってしまいました。
壺阪寺
五百羅漢
高取城跡
下山の道沿い
筋肉痛が残っているので家の中でゴロゴロしています。
古城を強調し、古い写真をイメージしてレタッチして遊びました。(12/6)
※高取城跡:
麓の高取町は飛鳥から吉野・紀伊に通じる道の途上にある歴史ある町で、万葉の昔にさかのぼる高取の薬も有名です。城下町として栄え、街の中心を土佐街道が通っていて古い街並みを残しています。この土佐の由来は、大和朝廷の都造りに駆り出された土佐の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源といわれています。
高取城は中世に越智氏が高取山城を築いたのが始まりで、藩主は変わりましたが高取藩は明治維新まで続きました。
近鉄壺阪山駅で降り、バスで壺阪寺まで行き、後は山道の登りです。途中で五百羅漢さんの石仏を観ながら300m弱を登ると、標高584mの高取城跡です。
7年前の11月に訪れた時は紅葉が盛んなときでしたが、今回の “石垣だけの古城、残り少なくなった色あせた紅葉、足元一面の落葉” の組合せが何とも良かったです。
帰りも同じ工程を予定していましたが、バス時刻表のチェックミスで山頂から壺阪山駅までの約450mの下山になってしまいました。
壺阪寺
五百羅漢
高取城跡
下山の道沿い
筋肉痛が残っているので家の中でゴロゴロしています。
古城を強調し、古い写真をイメージしてレタッチして遊びました。(12/6)
※高取城跡:
麓の高取町は飛鳥から吉野・紀伊に通じる道の途上にある歴史ある町で、万葉の昔にさかのぼる高取の薬も有名です。城下町として栄え、街の中心を土佐街道が通っていて古い街並みを残しています。この土佐の由来は、大和朝廷の都造りに駆り出された土佐の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源といわれています。
高取城は中世に越智氏が高取山城を築いたのが始まりで、藩主は変わりましたが高取藩は明治維新まで続きました。
2021-12-05 17:08
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