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嵯峨野あたり(2021.12.2撮影) [京都]

 北海道の自転車旅メンバーと愛知の友人の計五人の京都自転車散歩です。
 JR京都駅で待ち合わせし、堀川通りを上がって晴明神社と大徳寺に寄り、鷹峰(たかがみね)の光悦寺(※1)へ。今宮神社門前で平安時代から続いている“あぶり餅”を食べる予定でしたが二店舗ともに休業で残念!
 原谷を通って南下し、仁和寺の横を経由して広沢の池へ。西に走って清滝トンネルを通って清滝バス停でUターンし、鳥居本から祇王寺へ。
 太秦出身の友人によると、この清滝トンネルは愛宕山鉄道(※2)の遺構で、山にはケーブルカーもあったそうです。鉄道にしてはかなりの勾配です。
 後は愛岐組が宿泊する四条堀川のホテルへ直行です。
 紅葉も最終章を迎えていて、嵐山付近以外は観光客も少なく、ゆったりと嵯峨野を楽しみました。

光悦寺
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広沢の池
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鳥居本
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祇王寺
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※1:光悦寺
 鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地にあります。
 本阿弥光悦は、江戸時代初期の書家・陶芸家・蒔絵師・芸術家・茶人で、俵屋宗達・尾形光琳とともに琳派の創始者として、後世の日本文化に大きな影響を与えたそうです。
 この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術の集落となりました。光悦の死後に屋敷は日蓮宗光悦寺となり今日に至っています。
※2:愛宕山鉄道
 昭和初期に嵐電嵐山駅から清滝までをつなぐ愛宕山鉄道が敷かれていて、愛宕山中腹までをつなぐケーブルカーもあり遊園地等の施設もつくられていました。愛宕詣でと観光に利用されました。しかし、先の大戦でレール等が供出されて鉄道・ケーブルカーは廃止されてしまいました。

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