故郷(2023.8.26-27撮影) [岐阜]
私の故郷の岐阜市長良を子供と孫を連れて訪れました。久しぶりの実家の兄夫婦への挨拶と仏様にお参りしました。
夕方になると夕日は照っているが、雲行が怪しくなり雷も鳴り始め、風景の色も一変しました。屋形船は風に弱いので鵜飼の開催を心配しましたが、少し省略する形で開催されました。
翌朝は晴れましたが、川は増水しています。
日本三大仏の一つの岐阜大仏(※)にお参りし、岐阜公園を通って金華山に登りました。下山してから茶店で”田楽”と”五平餅”をいただきました。
初日
翌日
※岐阜大仏:
黄檗山満福時の末寺「正法寺」の本尊で、江戸時代後期に開眼供養が行われた日本最大級の乾漆仏で漆・金箔を重ねて仕上げている籠大仏です。
長良川(鵜飼)と金華山(岐阜城)は岐阜市のシンボルですが、岐阜観光の折には是非「岐阜大仏」も訪れてください。
夕方になると夕日は照っているが、雲行が怪しくなり雷も鳴り始め、風景の色も一変しました。屋形船は風に弱いので鵜飼の開催を心配しましたが、少し省略する形で開催されました。
翌朝は晴れましたが、川は増水しています。
日本三大仏の一つの岐阜大仏(※)にお参りし、岐阜公園を通って金華山に登りました。下山してから茶店で”田楽”と”五平餅”をいただきました。
初日
翌日
※岐阜大仏:
黄檗山満福時の末寺「正法寺」の本尊で、江戸時代後期に開眼供養が行われた日本最大級の乾漆仏で漆・金箔を重ねて仕上げている籠大仏です。
長良川(鵜飼)と金華山(岐阜城)は岐阜市のシンボルですが、岐阜観光の折には是非「岐阜大仏」も訪れてください。
横蔵寺(2016.11.8撮影) [岐阜]
谷汲山華厳寺の奥の谷筋に位置し、一説では801年に伝教大師(最澄)が創建したと伝えられいます。舎利堂には即身仏が安置されています。
鎌倉時代には38坊を擁する大寺院でしたが、戦国時代の兵乱で衰え、徳川時代に再興されました。
鎌倉時代には38坊を擁する大寺院でしたが、戦国時代の兵乱で衰え、徳川時代に再興されました。
谷汲山華厳寺(2016.11.8撮影) [岐阜]
”たにぐみさん”の愛称で親しまれている谷汲山華厳寺へ行きました。
798年(平安初期)に創建され、本尊は十一面観世音菩薩です。また、「西国三十三所霊場」の第三十三番札所で結願・満願のお寺としても知られています。
小さい頃、おばあちゃんに連れて行ってもらった微かな記憶がありますが、半世紀以上ぶりのお参りになりました。
798年(平安初期)に創建され、本尊は十一面観世音菩薩です。また、「西国三十三所霊場」の第三十三番札所で結願・満願のお寺としても知られています。
小さい頃、おばあちゃんに連れて行ってもらった微かな記憶がありますが、半世紀以上ぶりのお参りになりました。
長良川(2016.11.8撮影) [岐阜]
私が生まれて、18歳まで育ったのが岐阜市長良です。
岐阜市(※1)の象徴は、 鵜飼・長良川・金華山(岐阜城)で、地元の学校の校歌(※2)には必ず長良川と金華山のフレーズが出てきます。
長良川は、まだ泳ぐことができる清流です。
※1)岐阜の命名:
美濃を攻略した織田信長が、禅僧 沢彦(たくげん)の案を採用したと言われています。
“「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事にちなみ、山を遠慮して丘陵を意味する「阜」を採用した。“と中学の社会で習った記憶があります。
※2)母校の校歌: 千仞の嶽 / 金華山 / 百里の水 / 長良川 ・・・
岐阜市(※1)の象徴は、 鵜飼・長良川・金華山(岐阜城)で、地元の学校の校歌(※2)には必ず長良川と金華山のフレーズが出てきます。
長良川は、まだ泳ぐことができる清流です。
※1)岐阜の命名:
美濃を攻略した織田信長が、禅僧 沢彦(たくげん)の案を採用したと言われています。
“「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事にちなみ、山を遠慮して丘陵を意味する「阜」を採用した。“と中学の社会で習った記憶があります。
※2)母校の校歌: 千仞の嶽 / 金華山 / 百里の水 / 長良川 ・・・